2年ぶりに下関へ🐡
唐戸市場はいつも大盛況。歩くだけでも楽しい。
オヤツにちょこっと🍣買って(一人5貫くらい)広場で食べて
近くで軽く河豚ランチ🐡
水族館
なんか、えらい懐く海亀だなぁ~と思っていたら・・・
他もめっちゃ寄って来た!
海亀ってこんなやっけ!!?
遊んで遊んで~みたいな
とここで随分時間使いました🐢カメ可愛い。
こちらも二年ぶりの川棚温泉♨
この藁焼き鰹が滅茶苦茶美味しかった・・・
高森和牛🐂
こうなります
黒鮑の天婦羅
うーむ。因みに二年前☟
あまあま
高森和牛+松茸+大黒本しめじ
松茸+高森牛+国産レモン。これを食べに来たのになぁ~
なんかレベルが下がってた・・・
最後はユリ根釜めしに渡り蟹🦀乗っけて食す。
これを食べに来たのにぃ・・・
気を取り直して温泉へ
今回全く撮ってないから2年前のを☟
大浴場以外に大きな貸し切り風呂がいくつかあります。
とこの様に広くて快適です。
翌日~萩へ
幕末における長州藩の活躍に大きく貢献した藩校、萩・明倫学舎へ
幕末における長州藩の活躍に大きく貢献した藩校
萩藩校明倫館は、享保4年(1719)に5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために萩城三の丸(堀内)に開いた藩校です。それから約130年後、嘉永2年(1849)に城下の中心地(現在地)へと移転、規模を拡大しました。
約1万5千坪(約5万㎡)もの敷地内に、宣聖殿と呼ばれた聖廟を中心に、西側に小学舎、手習所などを含めた主として学問習得のための建物、それも漢学中心の初等・高等の教育施設が配置され、東側には槍場、撃剣場、射術場などの武芸修練場、後方には水練池、北方には約3千坪の練兵場が設けられていました。吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)もここで教鞭をふるっています。
創建より慶応3年(1867)廃館に至るまで、前後約150年の長期に渡って藩校としての教育が行われ、幕末の長州藩の中で大きな役割を果たしました。
敷地内には、旧明倫小学校本館(昭和10年に建てられた木造2階建ての校舎)があり、平成8年に国登録有形文化財に登録されています。
私的にはとても懐かしい校舎でした(昭和の田舎の小学校の校舎は普通に木造でしたので)冬とか痺れる寒さね。
えっ私の頃も同じだったけど
黒板消しもこれだったような・・・
歴史好き(日本史)には堪らんでしょうなぁ
校舎の1階2階の1室がこの様に萩焼ショップに。
萩へは20年以上前に2回ほど来ていますが、当時は萩焼が目的の一つで訪れました。その時も萩焼好きの観光客が多かったようですが今は「歴史」目的に来られる方が多いそうです。
素晴らしいことですね。
こいつはオタクっぽいとでも思われたのか、スタッフの年配のおば様が私に狙いを定めて、展示品の詳しい説明をずっとしてくださいました。(他にもお客はいる)
次男三男
写真下真ん中の方が、こちらと博物館に5百?5千だったかな?
凄まじい数の銃を生前寄贈されたそうです。
うん、やっぱりこう言うのはじっくり頭の中に落とし込んで見たいから、子供連れで来るとこちゃうな思いました。
もっとゆっくりしっかり見たかったぁ~
ずっと来たかった思い出の場所へ (宿泊先)
いい歳してSNSなんかで、会った事もない相手に中学生のノリで絡む中高年達に読んで欲しいわ。
やり取りすらした事ない相手にいきなりタメ口等、今はあまりにも底辺日本人が多過ぎます。
本当そう。
今も昔も平和ボケしていて泣ける。
世界遺産「萩城下町」萩城三の丸の中心 毛利屋敷跡に建つ、和と洋の趣を併せ持つ個性派旅館。
毛利三十六万石の城下町、長州・萩。かつて城を守る重臣達が居を構えた萩城三の丸・毛利屋敷三千坪の跡地にこちらの「北門屋敷」はあります。
武家屋敷を思わせる重厚な表門を入ると一転、ヨーロピアンテイストの明るいロビーと四季の花咲くホクモンガーデン。英国スタイルに日本の花木を織り交ぜたお庭では、春の桜から冬の椿まで、季節の花を和洋ともに楽しむ事ができます。
日本建築と欧風インテリアが融合した総欅造りの重厚なダイニング「逍遙亭」や、五葉松の見事な西館庭園、随所に散りばめられた西洋・東洋のアンティークも見どころです。
お食事は日本海の旬の味覚を中心とした各種のコースをご用意。春の甘鯛、しろうお、夏の瀬付あじ、秋冬はふく。四季折々の萩ならではの幸を。
北門屋敷なら、萩城跡、城下町、萩博物館、菊ヶ浜や遊覧船乗り場へも、町並み散策がてら楽しむ事ができるおススメ旅館です。
そしてこちらは皇室御用達でもあり、平成5年7月、皇太子殿下と雅子様が6月のご成婚後、お2人で初めてお泊まりになった旅館でもあります。
ご宿泊されたのは貴賓室「桂月」。皇族方が萩に来られる際は、このお部屋が利用されているそうです。
因みに私達夫婦も、特別室と貴賓室に2回宿泊しています。
今回は子供連れなので、高額な調度品等がしつらえてある貴賓室や特別室は当然×ですので、普通のお部屋に泊まりました。それでも十分な内容でしたね。
こちらはお料理も美味しいです。特別室や貴賓室はお庭を眺めながらお部屋で頂きますが、一般だと広間です。
萩に2泊すれば良かったね。と言うほどでした。
いつどこにいても虫探し。
がしかし、この旅行・山口入りしたその日から、まさかのハマスVSイスラエルの戦争勃発・・・
観光しながらずっと情報追ってました(涙)
近代日本史とリアルタイム中東情勢の行き来で頭おかしくなりそうに笑笑
こんな感じで夫婦おススメの旅館は世界遺産の中にあります。
武家屋敷の中にある旅館からは歩いてこの手の重要文化財へは行けるのですが、荷物もあるしで運転手兼ガイドさんを雇って観光します。大体どの地でも我が家はそんなしてます。
萩藩御用商人菊屋家の住宅
菊屋家は、毛利藩の御用商人として藩を支えてきた豪商です。 屋敷は藩の賓客をもてなす迎賓館のような役割も担いました。 江戸初期の建築で、現存する大型町家としては最古の部類に属し、400年の歴史があります。
菊屋家は、大内氏時代には武士でしたが、毛利輝元公萩城築城の際には有力町人として萩に入り、 町作りに力を尽くしました。
主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国指定重要文化財に指定され、 約2000坪の敷地の約3分の1が現在公開。 歴史を感じる建物内には美術品、民具~が展示されており、美しい日本庭園と共に往時の美術品、民具、古書籍など貴重な資料が数多く展示されており、往時の御用商人の暮らしぶりが偲ばれます。
全てが絵になる
移動します(時間がなく半分も見れなかった涙)
因みにユーザーの大半がバカのInstagramで「高杉晋作は何した人か知ってる?」って質問したら、3分の1くらいは知りませんでしたね・・・しかもどう見ても私より上世代のオッサン連中・・・何の冗談やて。どんだけ低層なん
皆様はご存知でしょうが、高杉晋作は、幕末期、尊攘・倒幕運動の中心人物の一人で長州藩士。 松下村塾の逸材で奇兵隊を創設した事で有名ですね。
23歳のとき藩の命令で上海に渡航しますが、その際に西洋諸国の支配に苦しむ清の姿を目にし、攘夷(じょうい)を目指します。
帰国後は、攘夷運動に身を投じ、1863年の長州藩の外国船砲撃事件では、武士だけの軍隊のもろさを知り、階級や身分を超えた町人や農民からも兵隊を集め「奇兵隊」(きへいたい)を作ります。
幕府に従う藩の体制に対してクーデターを起こしますが、奇兵隊はその際にも活躍。
晋作は肺結核にかかり1867年、28歳で世を去ります。
その後ろで虫探しの三男。
枯葉を食べるカタツムリが沢山集まっていました。
移動
萩焼。可愛い
時間がなく、ざーっと見たこの文化遺産は何だったか覚えていません。
松陰神社へ
今回ずっと運転手兼ガイドをして頂いた方です。
長州藩の藩校「明倫館」の師範を務めた吉田松陰が教えた松下村塾。
塾舎は今も松陰神社境内に現存しており、平成27年(2015)には世界遺産となりました。
伊藤博文など明治維新を成し遂げた偉人達が学んだ私塾ですね。
皆様はお詳しいでしょうから、ここでの説明は割愛させて頂きます。
移動
吉田松陰のお墓へ
移動
兎に角、四六時中どこでもコレ、虫探し。
ここめっちゃ雰囲気ありますよ。
元長州藩、現山口県の萩は、1604年に毛利輝元が萩城を建てて以来、城下町として栄えました。江戸時代末期には松下村塾が開かれ、初代内閣総理大臣である伊藤博文を始め多くの偉人が育った場所でもあります。そんな萩にある東光寺は、1691年に毛利吉就により建てられた黄檗宗の寺。
護国山東光寺は、元禄4年(1691)に3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で、毛利家の奇数代藩主が祀られている、大照院と並ぶ毛利家の菩提寺です。
総門、三門、鐘楼、大雄宝殿はいずれも国の重要文化財に指定されており、名刹の面影を残しています。
本堂裏の毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があり、墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並びます。この他に、殉難十一烈士墓、維新志士慰霊墓八基などがあり、また寺宝類も多く、長州藩御用絵師の雲谷派の絵画、県指定有形文化財の木額、柱聯、榜牌などが所蔵。
萩博物館に松陰神社は勿論の事、萩城跡・武家屋敷エリアの観光は本当に楽しい✨長州藩は今も、明治前・夜明け前の風情を残して非常に魅力的です。
しかしそんな感傷に浸る間もなく、三男が蛇を掴んだり色々しでかすので、次回は絶対大人だけで萩に滞在したいなと思いました😇
毒無しだったから良かったものの、シッカリ嚙まれていて、この後パパ大激怒。
本人は「爬虫類も全部把握してるからこれは毒無しだから問題ない!」って泣いて逆キレしてました。(詳しい方に見てもらったらアオダイショウの子供との事)
新幹線の待ち時間にお勉強する高校生の長男。
幼稚園の頃「ひつじのショーン」が大好きで、上靴入れから何から作ってあげたら、お気に入りでずーっと離さなかった可愛い思い出。未だにそのショーンバッグを持ち歩く中学一年生の次男を見て母はホッコリホッコリ😊
時間がない中で買った萩焼やら。
今は昔と違いこんな斬新な萩焼が。
若い作家さん達が加わり、萩焼だけでなく他の焼き物なんかも、面白いデザインが増えてきている様ですね。