自民党が選挙の票欲しさに依存している公明党の母体「創価学会」の正体

 

これでは憲法改正など永遠に不可能です

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こちらは創価学会が中国に向けて今も発信している内容です。

創価は中国共産党に対して日本軍国主義と闘うと誓っています。

日本は国を挙げて「富国強兵政策」を推し進め、教育面でも盲目的な愛国心を奨励し続けた。

第二次世界大戦が勃発し、日本軍は中国や朝鮮で残虐非道な行為を行った。このような時代の流れを見て、創価学会創始者の牧口は深く憂慮し、軍事ファシズムに対して徹底抗戦の姿勢を取ることを決意した。

中国侵略の為に大東亜戦争を始めた事は、根本的には日本の誤った精神的指導によって引き起こされた「国難」である。

これが創価・公明党の理念です。この連中は「憲法9条改正で自衛隊の立場を変える事」を阻止する事が党の創設理由だとしています。まんま中国共産党の代弁者。

常日頃から、対中政策・憲法改正を邪魔してくるのはこの為です。

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ここでは中国語で公開されている創価の主張を見てみましょう。

 

日本軍国主義と闘う

創価学会の創始者牧口常三郎は、軍国主義時代に 「悪の否定と善の抱擁は表裏一体である」、「悪の敵となる武士でなければ善の友となることは難しい」、「受動的な善に甘んじることなく、積極的に善を行う主体性と勇気を持った武士にならなければならない」と強く唱えた。

牧口は最終的に戦争に反対し、軍国主義の厳しい命令に反抗したとして逮捕され、投獄され、厳しい弾圧を受け73歳で獄死した。

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当時の日本は「富国強兵政策」を掲げて軍国主義路線に乗り出し、教育面でも学生に盲目的な愛国心を抱かせることを提唱していた。

牧口が重視したのは「国家」ではなく、常に「国民」であり「一人一人」であった。

国家権力が特に強調されていた当時、牧口は「個人の権力と自由は神聖にして侵すべからざるものである」と主張することに何のためらいもなかった。

1939年、牧口は創価学会の第1回総会を開いた。

同年、第二次世界大戦が勃発し、日本軍は中国や朝鮮で残虐な行為を行った。

こうした時代の流れを目の当たりにした牧口は深く憂慮し、軍部のファシズムに全面的に反抗する態度をとることを決意した。

牧口は、日本が国家神道をアジア諸国に押し付けていることに憤慨し、「日本国家はあまりにも傲慢である」と述べた。

また大東亜戦争における中国侵略は、基本的に日本国家の誤った精神的指導による「国難」であると主張。

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逮捕・投獄

1941年12月、日本軍によるハワイ・真珠湾攻撃が太平洋戦争の引き金となり勃発、創価学会の機関紙『価値創造』はその5ヵ月後、保安局から休刊を命じられた。

しかし、牧口はこの不正と悪の前に毅然として立ち向かい、当時の軍国主義政府の不正を舌鋒鋭く告発し、その行動は特高(特別高等警察)からの監視も厳しくなっていたがそれでも牧口は発言し続けた。

1943年7月、牧口と戸田はついに逮捕され、投獄された。

牧口は72歳だった。 獄中で500日近くを過ごし、1944年11月18日、老衰と栄養障害のため亡くなった。

牧口は人権を無視する国家権力に「正しい怒り」をもって挑んだが、その「怒り」が「憎しみ」に変わることはなかった。

1945年7月牧口は「刑務所を出る前に死んだ」が、共に逮捕投獄された戸田は「生きて刑務所を出た」。

恩師を失った戸田の怒りは、平和を創り出すという断固たる誓いに変わった。 第二次世界大戦後、学会の再建に着手した戸田は、学会を「創価学会」と改称し、全人類の幸福と世界の平和を希求する組織へと発展させた。

中国の工作機関と戦時中から関りがあったと思われる創価創設者は、このカルトの創設の理念として「日本の軍国主義を叩き潰す事」と定めています。

それが現在まで生き続け、「当時と全く異なる世界環境の現在」に至っても日本の国防を邪魔し、中国共産党政権におもねる原動力となっているのです。

こんな時代錯誤なカルトと連立与党を組んでいていては、当然まともな対中政策も取れず、防衛もスパイ防止法もままなりません。

今回の高市潰しで主要な役割を果たしたのも創価・公明と言われています。

テレビ等のマスコミは弱小カルト「統一教会」を政権との癒着と散々叩いたのに、日本最大のカルト創価・公明が自民党と癒着している事には一切触れない、その事が端的に危険性を表していますね。

事実、創価・公明カルトの過去の数々の国益を害する行いを振り返って見ても、日本という国にとって、統一教会の1000倍どころじゃないレベルで有害です。