マルクス共産主義には家族を破壊する事で政権を安定させようとしてきた歴史があります。
マルクス主義者は核家族が資本主義を形作っていると主張し、核家族は富裕層が私有財産を子供に受け継がせる制度でもあり、社会において階級的不平等を再生産している為に破壊しなければならないものとして扱っています。
最近、日本でも夫婦別姓やジェンダー推進といったマルクス共産主義的なイデオロギーが持ち込まれようとしていますが、ここでは小田村四朗氏が八木秀次・宮崎哲弥氏編「夫婦別姓弾論破」より引用して纏めたソ連の革新的な家族破壊実験がもたらした大惨事について紹介し、その危険性について再認識したいと思います。
「家族」を敵視した共産主義者達ですら失敗と認めたソ連の悲惨な実験について、日本の福島瑞穂氏は「ロシア 革命の後、様々な政策が根本から見直され、一時的であれ、事実婚主義がはっきり採用されていたとは素晴らしいことだと思う」(『結婚と家族』岩波新書)と 手放しで絶讃していますが、その福島さんが推奨するソ連による家族破壊計画について・・・
旧ソ連の家族破壊はどう行われたか
1917年、ロシア共産革命によって政権を掌握した共産党及び革命政府の施策は多くの抵抗に遭遇した。ソ連政府はその原因を家族、学校、教会にあると考え、革命を成功させるため、家族の絆を弱め、教会を破壊し、学校を革命の担い手に変える戦略を取りました。
「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」とされた家族に対す る攻撃は次のように行われた。
一、従来、法律婚の要件とされていた教会での結婚式を不要とし、役所での登録だけで婚姻の効力が生ずるものとした。
二、離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、一方の請求だけでも裁判所はこれを認めることとした。
三、犯罪であった近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。☚日本の有識者にもこちらを推進する方が居ます。
四、堕胎は国立病院で認定された医師の所へ行けば可能となり、医師は希望者 には中絶手術に応じなければならないことになった。☚現在、アメリカ民主党が積極推進をしております。
五、子供たちは、親の権威よりも共産主義のほうが重要であり、親が反動的態度に出たときは共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。☚現在中国共産党がこの方針を取っております。
六、最後に、1926年には、「非登録婚」も「登録婚」と法的に変わらないとする新法が制定された。
この結果、一、同居、二、同一家計、三、第三者の前での結合宣言、四、相互 扶助と子供の共同教育、のうちの一つでも充足すれば、国家はそれを結婚とみな さなければならないこととなった。
これにより、「重婚」が合法化され、死亡した夫の財産を登録妻と非登録妻とで分け合うことになった。
こうした反家族政策の狙いどおり、家族の結びつきは1930年頃には革命前よりは著しく弱まった。
しかし、彼らが予想もしなかった有害現象が同時に進行していた。1934年 頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。すなわち、
一、堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、出生率が急減した。 それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
二、家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年にはソ 連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋めつくされた。
彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、 終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、 先生は殴られ、女性たちは襲われた。
三、性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、 弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活が破壊され、何百万の子供たちが両親の揃った家庭を知らないことになった。
以上が、結婚と家族を破壊しようと試みたソ連の壮大な実験の経緯と結末を紹 介したティマシエフ論文の概要である。ところが、「家族」を敵視した共産主義者たちですら失敗と認めたソ連の悲惨な実験について、福島瑞穂氏は、「ロシア 革命の後、様々な政策が根本から見直され、一時的であれ、事実婚主義がはっきり採用されていたとは素晴らしいことだと思う」(『結婚と家族』岩波新書)と 手放しで絶讃。別姓論者の意図がどの辺りにあるかは、この一文によって察せられるであろう。
注意すべきは、ソ連がこのように180度の政策転換を行う事ができたのは、 一にソ連が共産党独裁によってスターリンが国民の批判を許さない絶対権力を握っ ていたからである。自由主義、民主主義の国家においてはこのような軌道転換は ほとんど不可能といってよい。
家族崩壊と青少年非行、児童虐待に悩む欧米諸国の現状を見るがよい。クリン トン大統領は1996年1月の一般教書で家庭の尊重を強調し、6月には青少年 犯罪対策として夜間外出禁止条例の制定を州、都市に要望したが、事態はそこま で悪化している。ヨーロッパでもスウェーデン(ソ連に近い事実婚公認)やフラ ンスの家庭崩壊は目に余るものがある。しかしいったん崩壊した家族秩序を修復、 再建することは至難の業である。
ピューリタンの厳しい伝統に支えられていた米国等でさえ然りである。欧米の ような厳格な一神教の伝統を持たないわが国にあっては、祖先祭祀を核とした 「家」の存在こそが社会秩序の基礎であった。(参照、加地伸行『沈黙の宗教- 儒教』筑摩書房)
競争社会の中で唯一の憩いの場であり団欒の場である家庭が 崩壊することは、社会秩序を根底から破壊する。それは国家破滅への道である。
「ライフスタイルの自己決定権」と称して、別姓論者が事実婚を実行し、現姓 に固執することは犯罪ではないから自由である。しかし、これを実定法以上の権 利と主張し、別姓の法定を要求し、相続権も与えよというに至っては論外である。
民・刑法の定める一夫一婦制度は、わが国社会秩序の基礎であって、これを破壊するような要求に法的保護を与えることは断じて許されないのである。
小田村氏はこの様に分析されています。
スターリンソ連は第二次世界大戦時、日本人婦女子に凄まじい性暴力を振っていますがこうした事の背景にもソ連が取った家族破壊政策があったのではないかと推測しています。
夫婦別姓といった家族という形を破壊する政策により、★出生率の急減、★少子化における日本での労働力の更なる減少、★少年非行の急増、★レイプなどの犯罪の急増などが考えられます。
実際、ボルシェビキが家族破壊政策を取った後にどうなったのか当時の様子を見てみましょう。
theatlantic.comより紹介
1926年7月のロシアについてのある女性の証言
「ボルシェビキの法改正により男たちは最近復活し解禁された40パーセントのウォッカを飲むのに夢中になるのと同じ熱意で妻を変えていた」←アルコール中毒レベルで新しい女を求めていたってニュアンスです。
結婚という制度を廃止すべきかどうかという問題は、激動のロシア革命初期以来、暴力と深みのある情熱を伴いながらロシア全土で議論されてきました。
1925年10月、結婚の届出と未届の区別をなくし、未婚の妻に正妻と同じ地位と財産権を与える法案が中央執行委員会に提出された。
この法律案に対して国民から予想外の反対運動が起こり、ツィク委員会は最終的な法案の採択を次の会期まで延期することを決め、その間にこのプロジェクトについて広く一般的な議論が始まった。
それ以来、工場、事務所、クラブ等のソビエトの様々な組織や機関が、この法案の賛否を決議し、市や町や村の会合に押し寄せた熱心な群衆はホールに収容しきれなくなった程でした。
なぜ国民がこれほどまでに結婚制度について熱心な議論、賛否両論の意見を交わすのか?
それはロシアで暮らし、男女関係に蔓延する苦悩、嫌悪、幻滅の雰囲気、ロシアの家族を覆う混乱、不安、悲劇を身をもって感じているからである。
1917年にボリシェヴィキが政権を握ると、彼らは家族という形を他のあらゆる「ブルジョワ」制度へのものと同様に激しい憎悪をもって見なし、それを破壊する意志をもって動き出した。
共産主義者の第一人者で、最近の結婚議論に積極的に参加しているスミドビッチ夫人は、「家族という制度を時代の埃から取り除くために、我々はそれに良い揺さぶりをかけなければならなかったし、そうした」と宣言している。
だから、ソ連政府の最初の政令の1つでは『非嫡出子』という言葉が廃止された。
これは、嫡出であるか否かを問わず、すべての子供の法的地位を平等にするというもので、今やソ連政府は、ロシアが非嫡出子のいない唯一の国であることを誇っている。
子供の父親は、子供の養育に貢献することを強制され、通常、母親が他に生計を立てる手段がない場合は、別居の際に給料の3分の1を支払うことになっている。
同時に、結婚相手のどちらかが要求すれば、数分で離婚できる法律が成立した。
その結果、大混乱に陥った。男たちはこの法律を悪用し、最近復活した40パーセントのウォッカを飲むのと同じような勢いで妻を変えていった。←性欲のままに妻を変えた。新しい酒を試すかの様に。
ある男は20人の妻を持ち、ある妻とは1週間、別の妻とは1カ月暮らすと、ツィックのセッションで憤慨した女性代表が主張した。←男が無責任にやりたい放題しているとキレています。
そして、その子供たちは、扶養に入れないために路上に放り出されている。(ロシアには今日、30万人の "bezprizorni"(庇護のない子供たち)がいて、文字通り路上に放り出されているのです。
彼らはプロの犯罪者に成長しつつあるため、現代の最大の社会的危険の一つである。彼らの半数以上は麻薬中毒者と性倒錯者である。多くの共産主義者は、家族の崩壊がこれらの子供たちの大きな割合を占める原因であると主張している)。
この性関係革命で最も被害を受けたのは、おそらく農民の村であろう。
農村では、結婚と離婚が大流行した。40年以上の立派な結婚生活を送ってきた農民が、突然、妻と別れて再婚することになったのである。
農民の少年たちは、結婚をエキサイティングなゲームとしてとらえ、季節の変わり目には妻を変えていた。二十歳の少年が三、四人の妻を持ち、同じ年頃の少女が三、四人の堕胎をすることは珍しいことではなかった。
ボリソボ・ポクロフスコイエの農民たちは、「流産は村の恥さらしだ」と苦々しく言った。
「昔はそんなこと聞いたこともなかったのに」
しかし、女性たちは自己防衛のためにこう答えた。
「口を出すのは簡単よ。でも、自分たちで子供を産んでみれば、また違った歌が歌えるでしょう」
以前、ある村のソビエト議長に、離婚が多いという話題を振ったことがある。
「どうして女性は離婚するのですか?と聞いてみた。その時、18歳くらいの少女が部屋に入ってきた。
「これが最近の離婚者です」と議長は笑って言った。
「彼女に聞いてみてください」
私は振り向いたが、少女はもうそこにはおらず、窓から彼女が全速力で走り去るのが見えた。
私は彼女を追いかけ、村の外の野原でようやく彼女に追いついた。干し草の上に腰を下ろし、私は少女に、女同士のように率直に話してくれるよう頼んだ。
19歳の夫をまだ愛しているが、結婚してわずか2カ月で離婚を切り出されたことを彼女は語り
「夫は村に住む別の女性を愛している様で、妻が自分から別れないなら彼女を殺す」と脅したと言う。
背が高く、色白で、無口なコサックの女性も、村の家族の絆の崩壊の犠牲者であった。
最初の子供が生まれた後、夫に離婚された。
そして、夫が別の女性と結婚し、子供をもうけたが、その男は両方の女性とも捨てて、最初の妻のところに戻り、その妻との間に2人目の子供をもうけた。
この女性は信心深く、二人目の子供が非嫡出子ではないかと思い悩んでいた。しかし、司祭は「教会は離婚を認めていないのだから、そんなことはない」と言い切った。←カオス過ぎて理解に苦しみますね。
結婚の規制が変わったことで、田舎ではいくつかの奇妙な悪習が生まれた。
結婚と出産は儲かる仕事だと、身なりの軽い女性が多くなった。
彼女たちは、裕福な農民の息子と結ばれ、その父親から子供の養育費を脅し取るのである。
このような扶養料の請求を解決するために、農民が最後の牛や馬を売らざるを得なくなったこともあった。
この法律は、何年も前に生まれた子供の扶養を請求できるよう、遡及的に運用されているため、さらに混乱を招いている。
また、離婚の規制が緩いことを利用して、「夏の花嫁」を手に入れる農民もいた。
ロシアでは労働力の雇用は、個人雇用主にとって困難と制約に満ちているので、いくつかの地区の富裕な農民は、収穫期に強い娘と結婚して、畑仕事が終わるとすぐに離婚する習慣をとった。
新しい性関係は、都市部でもある種の問題を引き起こした。
1924年から1925年の冬にかけて、年配の共産主義者の中には、若い世代、特に学生たちがあまりにも性の放蕩にふけり、健康や活力を緩いつながりに浪費していると非難する者がいた。
彼等は学生か母親か、どちらかにならなければならない。
今の状況では、その両方にはなれないと、ある指導者が現代のロシアの女子学生に宣言した。
「学生か母親か、今の状況では両方とも無理だ」と、ある指導者が現代の女子学生に言った。
女子学生は「恋愛はほとんど唯一の安い娯楽だ」と憤慨し、少なくとも工場労働者の女性たちと同じように無料で中絶できる機会を与えるよう要求した。
さらに、年配の共産主義者ばかりが純粋な生活の模範になれるわけではない、と反論した。
共産主義青年同盟のメンバーの中には、現在100万から200万人の青年男女を抱える組織であるが、一時的な性交渉の拒否を単なるブルジョア的偏見であり、共産主義者の目には最大の罪であるとみなしている者がいる。←理解に苦しみますが、頼まれたら絶対にやらせろと言っている様です。
共産主義者の地方支部の中には、「恥を捨てよ」「無実を捨てよ」というサークルを組織するところまで行った組織もあったが、これらは、前回の共産党大会における同盟の活動に関する公式報告の中で、乱暴な異常事態として厳しく非難された。←いきなりやらせろ委員会
村でも都市でも、未婚の母の問題は非常に深刻となり、共産党の理論に厳しく厄介な試練を与えることになった。
革命の初期には、共産主義者は、子供は国家によって養育され、世話をされるべきであるとする理論を持っていた。
しかし、国家は、特に戦争で荒廃し、貧しくなったロシアでは、財政的にそのような重い責任を引き受けることが全くできないことがすぐに明らかになった。
ソビエト連邦の32の州で6ヶ月間に報告された1万人の拾われっ子という数字は、現在の多くのホームレスの子供たち(馬鹿な共産主義者の法律が許した一時的な欲望によるセックスで生まれた子供たち)を国を養うことができない、あるいはその気がない為に、更に膨れ上がるかもしれないという危険性を物語っている。
そんな中、結婚制度の廃止を討議したツィク会議は、クレムリンの宮殿のひとつにある有名な皇帝の玉座の間で行われた。
金箔を貼った壁や天井はそのままだが、玉座は簡素な木製の台座に変わっていた。
ここでは、赤いハンカチを頭に巻いた丸顔の農民女性、ネクタイも襟もない地味なブラウスを着た労働者、高いブーツを履いたコミッサール(政治官僚や行政官僚)が民主的に交わり、等しく熱心に議論していた。
法案を提出したのは司法省のクルスキー委員で、ブロンドの口髭をたくわえた大男である。彼は、旧法では未登録の結婚の場合、妻には何の権利もなかったが、この法律案では、財産保有などにおいて法律上の妻の権利が与えられると指摘した。
もう一つ新しい点は、妻も夫も、失業したときや仕事ができないとき、相手に対して平等に扶養を要求する権利を持つということである。
また、妊娠中に複数の男性と同棲していたとしても、女性は子供の扶養を要求する権利を持つ。←凄まじい
ただし、これまでの慣習とは異なり、女性か裁判所が扶養の責任を負う男性を一人選ぶことになった。
この点は、欧米の「ブルジョア的慣習」と大きく異なるため、クルスキー委員は特に自慢げに語った。
欧米では、夫が友人を連れてきて、自分も同居していると申告すれば、夫が無防備になる。
結婚しても親と同居している村では、女性が慰謝料を請求すると家族全員が責任を負わされる。
クルスキーが報告を終えて、討論に入ると、村や工場の代表者が何日も発言し続け、発言者のリストがどんどん増えていくほど、激しい反対運動が展開された。
討論者の関心を最も集めたのは、無戸籍の妻にすべての法的権利を与えることによって、男性が軽率で一時的なつながりを持つのを防ぐことができるか、それとも単に一夫多妻や多夫多妻につながるか、という問題であった。
内務大臣ビエロブロドフは、「国家は結婚を純粋に私的な問題と見なすことはできない」と主張した。
結婚が安定すれば、子供の教育も安定するというのが彼の考えだ。そして、「犯罪者や乞食の子供が多くなったのは、家庭の崩壊が原因だ」と主張した。
また、「この法律の自由な規定を利用して、裕福な男性と関係を持ち、扶養料を脅し取る女性が出てくる」と反対する意見もあった。
司法省の高官クラシコフは、「実際に結婚生活を送ったかどうかを証明するのは最も困難だ」と主張し、「一夫多妻制を禁じる法律は死文化するだろう」という結論を出した。
ある論者は、この問題をもっと絵に描いたように表現した。「あなたは、ロシアを一つの巨大な結婚生活にしたいのですね。
コストロマ出身の労働婦がショールをかぶって、反対の大合唱に声を添えた。
「私たちの工場では、とても不愉快なことに気づかされます。
若い男が公的な活動に参加しない限り、彼は妻を尊重する。しかし、少し出世して、少し教育を受けると、二人の間に何か異変が生まれる。
夫は子供を連れて妻を捨て、他の女と同棲し、貧乏と不幸を両者にもたらす。働く女性たちに、多夫多妻の習慣をなくす法律を制定するようお願いします」
クルスク州の農民女性ジポバさんは、「男女がジプシーのように相手を変え続けるような生き方は許されない」と主張した。
「子供たちがあまりにも苦しんでいる。
20年間、妻と平和に暮らしていた夫が、突然、泣き出す。
「私たちには今、自由がある。離婚してくれ」と。
頻繁な結婚や離婚に何らかの確固とした制限を設けない限り、我々は毎回この問題を議論して、決して良い結果を得ることはできないだろう」
トロツキーも、母性福祉に携わる医療従事者の会議で、この新法に賛成することを表明した。トロツキストは、「この法律は、女性の保護を強化することによって、この国の子供たちのためになる」と強調した。
一方、共産党の法律関係の権威で、この法律に最も反対した一人であるソルツ氏は、この法律がもたらすであろう結果について、全く違った見方をしている。彼の主張は、次のようなものであった。
私たちは今、ルーズな生活の結果に対する責任を、それを犯した男性に押し付けているのです。
夫が払えないから、女性は裁判で認められた扶養手当の100分の1ももらえない。
この法律は女性に有利なように見えるが、実際は不利に働く。なぜなら、今でも夫は妻から逃げ、妻は夫と慰謝料をむやみに追いかけるからである。
女性は法律が自分を守ってくれると思い、一時的な関係を結んでしまうのです。経済的な義務を伴うのは籍を入れた結婚だけだと教えてあげれば、もっと慎重になるはずです。
扶養義務を怠った者を刑務所に入れればいいと言いますが、そんなことをしたら刑務所が足りなくなるはずです。この法律に頼れないと知れば、女性はもっと自分を守るようになるでしょう」
スミドビッチさんは、子供を育て、国家がまだ引き受けることのできない他の義務を遂行するために、家族は依然として必要であるという意見を表明した。
彼女は、婚姻届を出しているかどうかに関係なく、妻としての権利が法的に守られれば、女性は最もよく守られると考え、この法律に賛成したのである。
多くの人は拍手を送った。登録された結婚にだけ責任を負う義務があれば、同時に他のいくつかのつながりを全く責任なしに維持できるという考えに、すでに満足しているからだと彼女は付け加えた。
ロシアのフェミニストの第一人者で、初の女性大使(駐ノルウェー)であるマダム・コロンタイは、この議論に興味深い貢献をした。
彼女は、特に夫が2つの家庭を持っている場合、女性が扶養料を徴収することはできないと考え、法案に反対した。
彼女は登録に反対し、自由恋愛に全面的に賛成していた。
彼女は、厄介な子供の問題の解決策として、ソ連の成人国民全員に毎年1ドルずつ徴収する「結婚保険」の制度を提案した。
これは、自由恋愛の結果生まれるかもしれない赤ん坊をすべて養うのに十分な金額である。
また、「現在のロシアの若者は散財や放蕩を非難されるが、売春はほとんどなくなっていることが忘れられがちだ」とも言った。(この点については、「アマチュアが職業を台無しにする」という言い方が広まっている)。
この法律案について、都市部では意見が分かれているが、ロシア人の8割が住む村では、圧倒的に反対意見が多かった。
最近、ソ連の機関紙『イズベスチヤ』は、この法律に関する農民の意見をまとめたものを印刷した。
その中で最も特徴的なのは、ヴォログダ州の農民、A・プラトフ氏で、次のように宣言している。
農民の結婚はまだ、今日作って明日か来週には壊れるような玩具にはなっていない。
多くの妻や夫を持つという新しい提案は、村では違法とされている。一人の罪の責任を家族全体に負わせることはできません。
村の離婚は、家族の不和、確執、裁判、復讐、殺人、そして破滅をもたらす。新しい法律が一夫多妻制や悲しみ、士気の低下、民族の滅亡をもたらすと感じる村民の後進性を考慮しなければなりません。
タタール人の村、テトゥシでは、農民の集会は「騒々しい、嵐にさえなる」と表現された。
午後2時に始まり、翌朝まで続いた。
この集会で、全会一致で婚姻届を出すことが決まった。
ロシア全土でまだ議論が続いているが、この法案が一定の修正を加えて、夏に開かれる次のツィク会議で可決されることは間違いなさそうである。
広範な民衆の抗議と反対を考慮して司法委員会が同意した、草案におけるより重要な変更点は次の通りである。
未登録の婚姻は、当事者が相互に夫と妻として認め合っている場合、同居し共同財産を持っていたことが第三者の証言や私信などの証拠によって裁判所に証明された場合、相互に物的援助や共同養育があった場合にのみ法的権利が発生する。
夫または妻がもう一方のパートナーに扶養を請求できるのは、労務不能の場合は1年間、無職の場合は6カ月間に限られます。(この変更は、ロシア人男性の中には非常に怠惰で、妻に扶養を請求できるのであれば、働く女性と結婚して永久に失業したままでも構わないというケースが多数散見された結果、なされたものである)。
登録が結婚の絶対的な証明と見なされる限り、登録された結婚が優先される。
農民の家族全体が、そのメンバーの一人の子供の扶養に責任を持つが、その額は、いかなる場合でも、家族の破滅につながるほど大きくはあってはならない。
新婚姻法の単なる技術的な内容も、もし性関係の問題が国民の関心の的でなかったなら、これほど熱烈な民衆の議論が沸き起こることはなかっただろう。
この議論は、この問題に関して長い間抑圧されていた感情を表現する場を提供したに過ぎない。
議論の経過は、結婚、性、家族の問題に対する現代ロシアの態度における二つの顕著な発展をはっきりと示していた。
まず、共産主義者と一般大衆の間に、過度のルーズな生活に対するまぎれもない反動があることだ。
特に、共産主義者の中には、恋愛に時間を費やす同志は、党とプロレタリアートに対する義務を果たすことができないという点を強調する者もいる。
現在、共産主義者の作家の間には、セックスへの過度のこだわりをブルジョア的退廃の徴候として非難する傾向がある。
一般の人々、特に農民の間では、「自由恋愛」のスローガンをあまりにも文字通りに採用した結果、物質的にもその他の面でも困難が生じていることを痛感しており、より安定した家庭関係を望んでいるのである。
第二に、家庭を廃止することが望ましいという革命的な思想が広く流布されても、昔ながらの愛や嫉妬の情がなくなるわけではないことが、今やかなり明白になっている。
警察の記録には、嫉妬に駆られた女性たちによる殺人、暴行、自殺などの事件がたくさんあり、その中には非常に恐ろしいものもある。
そのような事件の一つを例に挙げてみよう。
ある農民が村の女房と別れて、町で働く女と一緒に暮らし始めた。村の女房は何度もやって来ては、二番目の女房の前で騒ぎ、我慢できなくなった二番目の女房は、ライバルにベンジンをかけて火をつけ、焼き殺してしまった。
このような嫉妬の爆発は、共産主義者によって「ブルジョア偏見の遺物」と非難される。しかし、それにもかかわらず、このようなことは起こり続け、共産主義者の女性でさえ、夫の注意が他に向けられたために自殺することが知られている。
これがマルクス共産主義者が国家運営した酷い有様です。
見ているだけで頭痛がしますね。左翼のマルクス共産主義者の無茶苦茶な願望を法整備しようとした結果、国が崩壊しています。
家族とは国の礎です。
武田信玄が「人は城、人は石垣、人は堀」と詠んでいますが、家族とは国を守る為の基盤です。
夫婦別姓はまさにその基盤を破壊し日本という城を崩す思想。家族の形を変える法整備にはくれぐれも注意したいものです。