天皇皇后両陛下が英国を訪問され、英国王室により荘厳で盛大な式典が行われました。
その際、メディアがあまり触れなかった日英の歴史をご紹介します。
チャールズ国王はロンドンのバッキンガム宮殿で晩餐会に迎え、3日間の国賓訪問の初日に日英の経済、外交、文化面での結び付きを祝いました。
チャールズ国王は「我々の政府は、将来の世代に安定した世界を提供する為に協力しています。こうした共通の取り組みを支えているのは、地理を超えた私達の国民の永続的な絆です。それは単にお茶を飲んだり天気について語り合ったりする事だけを意味するのではありません。」と語られています。
コロナパンデミックにより2020年から延期されていた英国への国賓訪問は、両国間の軍事、文化、科学の繋がりを深める事を目指している為です。
天皇陛下は招待状が最初に発行された際に即位していた故エリザベス女王に敬意を表し、チャールズ国王と外交関係の強さについて「両国間の多層的な協力と交流は、政治・外交、経済、文化・芸術、科学技術、教育など、様々な分野で加速しています」と答えられていました。
日英双方の国旗が掲げられた大通り「ザ・マル」を通り、バッキンガム宮殿へと向われる様子。
ザ・マルはロンドン中心部のウェストミンスター市にある儀式用道路で、西端のバッキンガム宮殿から東のアドミラルティ・アーチを経由してトラファルガー広場までの1kmを結ぶ大通りです。
位置です⇩
バッキンガム宮殿へ
英国近衛軍楽隊コールドストリーム・ガーズ・バンドが天皇皇后両陛下の国賓訪問に敬意を表し、バッキンガム宮殿での衛兵交代式で「緑黄色社会」の「Mela」を演奏しました。
天皇皇后両陛下は、ホース・ガーズ・パレード(ロンドンのホース・ガーズにある施設。観兵式などイギリス王室の主要儀式が行われる場所です。)で英国国王夫妻の歓迎を受けられました。
ホース ガーズ パレードはかつては1698年まで王室の居住地として用いられたホワイトホール宮殿の馬上槍試合場があった場所で、ヘンリー 8 世の時代には馬上槍試合を含むトーナメントが開催されていました。
また、エリザベス 1 世女王の誕生日を祝う毎年恒例の会場でもあります。このエリアは 17 世紀以来、様々な閲兵式、パレード、その他の式典に使用されてきました。 隣接するホース ガーズの建物は、かつてイギリス陸軍の司令部でした。
チャールズ国王は英国で最も歴史があり、英国騎士団の最高位である「ガーター勲章」を天皇陛下に授与されました。
天皇陛下はチャールズ国王に日本最高の栄誉である大勲位菊花大綬章を授与されました。
ガーター勲章の外国人への叙勲は、原則としてキリスト教徒であるヨーロッパの君主制国家の君主に限られており、天皇陛下は特別に授与されています。
Order of the Garter(ガーダー勲章)とは
ガーター騎士団は1348年にエドワード3世によって創設された騎士団です。英国名誉勲章制度の中で最も上級の爵位であり、ヴィクトリア十字勲章とジョージ十字勲次ぐ権威を持ちます。
エドワードと25人の創設騎士団が騎士団を創設し、その中にはエドワード黒太子も含まれていました。
彼らはそれぞれウィンザーのセント・ジョージ礼拝堂で礼拝を行い、この礼拝堂は今日に至るまで騎士団の精神的拠り所となっています。
https://youtu.be/X-8_J0ZLZLU?si=Y0iG_FFdgF89ONTH
大勲位菊花大綬章とは
1876年(明治9年)12月27日に制定され、最高位である大勲位菊花章頸飾に次ぐ勲章であり、天皇陛下や国家元首以外の生存者への叙勲としては事実上日本の最高位勲章です。
贈り物の交換も行われ、チャールズ国王は天皇陛下にスコットランド最古のウイスキー蒸留所、グレン・ガリオック(サントリーが所有)の職人技による少量生産のシングルモルト・スコッチ・ウイスキーを贈呈しました。
⇧参考 glen garioch 46 year old single malt scotch whisky。
天皇陛下からチャールズ国王には輪島塗の漆器が贈られました。
英国王室が天皇陛下国賓訪問用に用意された資料。
英国王室と日本との関係は400年以上前に遡ります。
400年以上前の1611年1月、東インド会社はジョン・サリス船長率いるクローブ号を日本との貿易関係を確立する為に派遣し、引退した将軍家康に贈る為のアジア初となる望遠鏡や、将軍徳川秀忠に贈る為の貴重な杯や公式書簡や贈り物を携えて日本に到着。
サリス船長は将軍徳川秀忠と引退した将軍家康に謁見し貿易許可の交渉に成功しました。
また、サリス船長はイングランド国王ジェームズ1世と、スコットランド国王6世の為の甲冑2着を徳川秀忠から受け取り、徳川家康からは10枚の金箔屏風と絵画の衝立を受け取り、この交換が両国の正式な関係の始まりとなりました。
小さな冒険の始まりが、文化的、科学的、商業的な交流を切り開き、今日の日英間の芸術、科学、貿易、技術、ライフスタイルのダイナミックな発展の礎になったのです。
1611年、イギリス国王ジェームズ1世から日本の天皇陛下に宛てた手紙⇩
250年間続いた「鎖国」政策が終わり、日本を訪れた最初の王族は、ヴィクトリア女王の息子、エディンバラ公アルフレッド皇太子でした。1869年の事です。
ヴィクトリア女王は2022年9月8日までイギリス女王であったエリザベス2世の高祖母にあたる大英帝国を象徴する女王です。
25歳の皇太子の日本訪問中の最大の出来事は、9月4日の明治天皇との会見でした。
皇太子が馬車で皇居に到着すると、好奇心旺盛な見物人が通りに群がったそうです。二人は謁見の間で正式な挨拶を交わした後、庭園に退いて話をしました。
お茶と「あらゆる種類のご馳走」が振る舞われました。
皇太子は天皇陛下にダイヤモンドをちりばめたタバコ入れを贈り、天皇陛下から1537年製の見事な武士の鎧を受け取りました。
皇太子は英国に帰国後、1872年にサウスケンジントン美術館(現在のヴィクトリア&アルバート美術館)で展示する為に73点の日本美術作品を貸与しました。
この特別展は初週に3万人の来場者を迎え、皇太子は「日本美術の最も著名な収集家およびパトロン」として名声を確立しました。展示品の中には、桜の形をした金具が付いた1500年頃の短刀があり、これは明治天皇自らデザインされた装飾と伝えられています。
日本を去る際、アルフレッド皇太子は母親(ヴィクトリア女王)に手紙を書き、滞在中に遭遇した「美しい」風景と「魅力的な」宮殿を紹介しています。特に重要なのは日本政府が「最大の礼節と配慮」を示してくれた事であると強調されています。
外交的な接触が始まったばかりの時代には特に重要な事でした。
皇太子はその後、ロンドンの邸宅クラレンス・ハウスの壁に日本のコレクションを飾っていました。
1875年5月に皇太子邸を訪れたヴィクトリア女王は「2つの古い応接間が新しく改装され、アフィー(アルフレッド皇太子)が外国から持ち帰った武具、陶磁器、珍品でいっぱいだった」と賞賛したそうです。
それ以前の数世紀と同様、日本の職人技は英国王室のインテリアを大きく形作ったと英国側が伝えています。
皇太子は日本が気に入り過ぎて、日本で右腕に龍の刺青を入れています。ボウリングの試合でシャツの袖をまくった皇太子を描いた1873年の版画に皇太子の龍の刺青が残っています。
プリンス・オブ・ウェールズ(後のエドワード8世)は1922年、4週間を日本で過ごしました。桜を見るには4月が最適だとの勧められ皇太子は4月に公式訪問し、皇居での晩餐会、神社巡り、横浜での連合国戦没者慰霊碑の除幕式などが行われています。
その際のウェールズ皇太子⇩
ウェールズ皇太子殿下御来朝記念 東京駅頭歓迎門御通過の光景⇩
1953年(昭和28)年3月、昭和天皇の名代としてエリザベス女王の戴冠式に招かれた明仁皇太子(今上天皇)は、初の海外訪問先となる英国を訪れました。
日本の独立回復から1年。若き皇太子の外遊は日本の国際社会への復帰を象徴していました。
1975年、エリザベス女王とエディンバラ公は、昭和天皇皇后両陛下の初の国賓としての日本訪問で歓待を受けています。
そして2022年9月には、エリザベス女王の葬儀に参列する為、天皇皇后両陛下が即位後初めて英国を訪問されました。