最近新たにハマり出している焼き物・和食器類ですが、この頃は磁器や陶器に相当ハマッていて、コチラにもお邪魔しました。(日本では萩焼や唐津焼に有田焼に伊万里焼等ウロウロ)
震災で長年集めてきた陶磁器・クリスタルの数々が(総額ウン百万)粉々になってしまい・・・長く傷付いておりましたがようやく再開。購入品等はまたどこかでお見せします。
こちらアナトリア地方は、陶器や、ペルシャに並ぶハイレベルな絨毯の産地。
私の前はNHKかなんかが取材に来ていた様ですが、陶磁器の価値は勿論、その歴史を知らなければ
わざわざ高いお金を出してまで買わないでしょうね😅
キュタフヤ陶器について
ブルーモスクやトプカプ宮殿を飾る青いタイルが作られた15-17世紀、トルコ陶器産業の中心は、イズニック(IZNIK)という町でした。現存する博物館の陶器の殆どは、イズニックで焼かれたもので、いくつかの窯はブランドとも呼べるネームバリューで、オスマン王朝の保護を受けていました。
18世紀になると、イズニックでは装飾用のタイルの生産が中心になり、代わって皿や壷などが作られるようになったのが、キュターヤ(KUTAHYA)です。
キュターヤが陶器を作る為の良質な土が取れる場所に、より近かった為の様。
カイセリ絨毯にしろ、気の遠くなるような工程を経て、素晴らしい芸術品を生み出す世界中の職人さん達にはリスペクト。
歴史の面白さって、暗記ではなく、繋がりとか構造とかそこが分からないと本当の意味で理解出来ないんですよね。「単発で起きてないから」
この時代はシルクロードを通り、日本からも素晴らしい貢物が沢山運ばれているワケですが、博物館には見た事もない巨大な柿右衛門の壺などが展示されてありました。
トルコの歴史にしろ日本の歴史にしろ権力者がどれほど文化に影響を与えるのか。
千利休にしろ、時の権力者によってひとつの文化が出来ていますよね。
今みたいに世界が繋がってない時代に、未知のものに影響を受けて、浮世絵も影響を与えたり、焼き物も新しい技術を取り入れてまた新しい形にして行くとか、歴史の面白さはそこにあります。
とても美しい陶器の数々。ツルッツルの表面を見ていたら分かりますが、マイセン磁器もインスピレーションを受けたとか。
日本の女が余程珍しかったのか、コチラのデザイナー兼オーナーさんがずっとこんな感じで引っ付いて中々帰してくださいませんでした。
購入したのはこの三点です。(結構大きいです)
純金をあしらっているから結構な額になりましたが、中々気軽には行けないこんな遠方で購入した思い出の数々も震災で木っ端微塵に・・・😇😇
移動してレストラン。兎に角みんな顔が濃い。因みに私は昔から濃い顔は苦手で、朝鮮・モンゴル系の薄い顔のが好みです。
なんか兎に角洞窟の数がすんごくて、どこのどの洞窟に入ったのか記憶がイマイチです😅
若いとお肌のハリが違いますねぇ・・・
カイセリ絨毯の工房へ
一日中織っても僅かしか進まない、本当に気の遠くなるような期間を経て出来上がる正に
「世界最高峰の絨毯」。
工房は若いお嬢さんばかりなので何故かとオーナーに尋ねると、若い娘のうちじゃないと指が太くなり作業に合わないからだと🤣🤣
悲しいかなこの時期まだピアニストの様に長く細く美しかった私の指も、家庭を持ち家事育児に追われる中でいつの間にか緩かった指輪までもが入らないレベルに・・・笑笑
染色の説明。こんな感じやで、と。
スルタ~ン
当然結構な額しますが、唯一人生で後悔してるのはこの豪奢なカイセリ絨毯を買わなかった事です。マジで。
確か100~300万辺りを勧められたと思いますが、これとか↑買っておけば良かったとマジで後悔😭😭😭 これの前に高価な陶磁器3つも購入したから躊躇っちゃったんだよね・・・
あとこれに限らず、トルコ人は基本商売下手やと思いました。
またポンと買える位頑張ろうっと・・・
ホテル(ここは何日も滞在してます)
昔世捨て人も住んでいた地域なの納得、イタリアのマテッラみたいな感じ。
ホテルから出て深夜に向かったその先は・・・
カッパドキア名物、熱気球ツアー!
これマジ感動するよ!
ほら
こうやって朝日が昇るのを見るの
神秘的な時に映える美人親子(Venezuelans)
朝食とって、チェックアウト、移動